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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)3399号 判決

原告 甲野太郎

原告 甲野花子

右両名訴訟代理人弁護士 池谷昇

右訴訟復代理人弁護士 森泉邦夫

被告 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 江原勲

〈ほか二名〉

右訴訟代理人弁護士 山下一雄

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五七年三月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  (当事者の関係)

(一) 原告らは、後記自動車事故により死亡した甲野一郎(昭和四七年七月七日生まれ、以下「一郎」という。)の両親である。

(二) 一郎は、化膿性髄膜炎後遺症によるいわゆる器質的脳障害児であって、昭和五六年二月二三日東京都世田谷区松原六丁目三七番一〇号所在の東京都立梅ヶ丘病院(小児精神科専門病院)に入院し、同年四月一日同病院内に設置されている東京都立青鳥養護学校梅ヶ丘分教室(以下「分教室」という。)小学部三年生に入学した。

2  (事故の発生)

(一) 昭和五六年一一月一八日、分教室の木下勉外六名の教諭(以下「引率教諭ら」という。)が、一郎ら養護児童一二名を引率して校外学習を行なった(以下「本件校外学習」という。)。

(二) 右校外学習の経路は、分教室を出発して松原小学校、京王帝都電鉄明大前駅付近を経由して国道二〇号線(通称甲州街道)を横断して杉並区に入り、永福高校横を廻った後再び甲州街道を横断して世田谷区に入り、分教室に戻ってくるもので、全長約三・七キロメートルのコースであった。

(三) 右引率教諭ら及び養護児童らの一団は、右コースの半分程度を過ぎて午前一〇時四二分頃甲州街道を杉並区側から世田谷区側へ横断歩道を歩行して横断した。これを渡り終えて、右一団が甲州街道沿いの歩道に新宿方面に向かう進行方向をとり別紙位置関係図のとおりの位置にあった(一郎らは一団の最後尾に車道側から安部稔章教諭(以下「安部教諭」という。)、児童の乙山(以下「乙山」という。)、一郎の順に手をつないで並んでいた。)時、甲州街道の横断者用信号が赤になり、新宿方面から八王子方面へ向かう車両が一斉に進行を開始した。

この時、乙山と手をつないでいた一郎は、教諭達が目を離した透きに甲州街道上に突然飛び出して世田谷区側から杉並区側に横断しようとし、折から青信号に従って新宿方面から八王子方面へ進行してきた普通貨物自動車にはねられ(以下「本件事故」という。)、同日午前一一時一五分頃肋骨骨折を伴う胸腔臓器損傷により死亡した。

3  (担当教諭らの過失)

(一) 一郎の病状

一郎は、梅ヶ丘病院に入院する以前、立川市立第五小学校二年生児玉学級(特殊学級)に在学していたが、授業中突然前の児童を殴ったり、奇妙な声をあげたり、椅子から立ち上がったりする等の異常な衝動的あるいは粗暴的行為が目立ったため、梅ヶ丘病院に入院した。一郎は、右入院当時器質脳障害児に特有な性格変化と不気嫌状態が顕著であり、その後梅ヶ丘病院及び分教室における行動観察、生活指導、集団生活訓練、薬物投与等の治療により、不気嫌状態は軽減され、粗暴的行為も減少したが、本件事故当時もなお投薬等の治療は継続して受けており、将来的にも自立した社会生活をもつことは困難と考えられていた。

(二) 本件事故現場付近の状況

本件事故現場は、上空を首都高速道路四号線の道路敷に覆われてあたかもコンクリートの箱の内部のようであり、かつ交通頻繁な幹線道路上であるから、その現場に臨む者に一種異様な刺激を与える。

(三) 引率教諭らの注意義務違反

一郎のような情緒障害が顕著な器質脳障害児は、ちょっとした刺激と環境の変化により、突発的に予期せぬ行動に走り易いものであるところ、本件事故現場は前記のように特異な状況にあるのであり、しかも、本件事故現場に到達した一郎は本件校外学習における適当な距離の歩行により心神の昂進と解放感に浸っていた筈であるから、このような場合、一郎は感情激発に陥ったり驚がく反応を起こしたりして突発的な行動に出ることが有り得たのであり、引率教諭らはこれを予見し得た。

従って、引率教諭らは、本件事故現楊の横断歩道を渡り終った際、一郎の行動を注視し、車道に突然飛び出す等の行動をさせないようにし、万一、そのような行動に出ても直ちに連れ戻すことができるように注意すべきであり、そのためには、乙山と一郎の担当であった安部教諭が別紙位置関係図に示す勅使河原教諭のように、引率児童二人を左右に各一名宛位置させ、一郎とも直接手をつなぐか、あるいは、教諭らのうち誰か一人が集団の最後尾に位置し、児童集団を見渡せるようにしているべきであった。

しかるに、引率教諭らは、これを怠り、前記2のとおり安部教諭が直接一郎と手をつながず、又一郎を集団最後尾に位置させたため、本件事故を発生させたものである。

4  (被告の責任)

引率教諭らは分教室に勤務する養護教諭であって、被告の雇傭する地方公務員であるところ、本件事故は引率教諭らの前記過失によって発生したものであるから、被告は国家賠償法一条による損害賠償責任がある。

5  (損害)

一郎の死亡により、原告らは、被告に対し、別紙損害一覧表のとおり、各二一五三万五一六五円宛の損害賠償請求権を取得した。なお、原告らは、一郎の両親として同人の被った損害について被告に対する損害賠償請求権を各二分の一宛相続により承継したものであり、また、葬儀費用及び弁護士費用は各二分の一宛負担し、自賠責保険金も各二分の一宛受領したものである。

6  (結論)

よって、原告ら各自は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右損害金の内金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五七年三月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1及び2の事実は認める。

2  請求の原因3の事実について

(一) (一)のうち、一郎の立川市立第五小学校在学中の行動については不知、その余は認める。

(二) (二)のうち、事故現場が交通頻繁な道路で、上部に高速道路が通っていることは認める。

(三) (三)は争う。

3  請求の原因4の事実中、引率教諭らの地位については認め、その余は争う。

4  請求の原因5の事実は争う。

三  被告の主張

1  校外学習について

分教室は、梅ヶ丘病院の入院患児のうち学令児童を対象として、病院の治療と併行して、一人で日常生活ができるようにするための教育訓練を行うことを目的として設置されている。分教室での校外学習は、歩行により体力をつけること、街の様子を知り社会経験を広げること、各児童がお互いを意識してきまりを守り楽しみながら集団行動ができるようにすること等を目的とし、年間計画のもとに原則として週一回実施され、本件事故のあった校外学習は、昭和五六年度の一七回目であった。

2  本件事故発生までの状況

一郎は、分教室の校外学習に、昭和五六年四月七日の第一回から本件事故当日まで一六回参加した。一郎は、器質的脳障害のため自立した社会生活を営むことは困難であったが、言語は他児に比べて多く、色の弁別、空間概念も七―八才レベルのことを理解することができ、交通信号の点灯意義や歩行者としての交通ルールは十分身につけていた。たとえば、横断歩道では「手をあげよう。」とか、道路横断時には「右を見て、左を見て」等と声を出し、動作を伴って歩くことができるようになっていた。二学期に入ると、友達と手をつないできちんと歩くこともできるようになり、飛び出し行為や教師の指示に反する行為も全くない安定した学習ぶりであった。

本件事故の発生した一七回目の校外学習にあたり、教師らは、一二名の児童を障害の程度、個性、発達の程度に応じ一名ないし二名を一班として七班編成とし、各班に一名の担当教師がついて行動をともにすることとしたが、七班は、それぞれの児童の能力及び課題とされる教育目標にしたがって(一)単独で歩く児童、(二)教師と直接手をつなぐ児童、(三)友人と手をつなぎその友人と教師が手をつなぐ児童の三組に大別された。一郎は、一〇月八日の校外学習で手をつないで歩いた経験のある乙山と手をつなぎ、乙山が安部教師と手をつなぐ、右(三)の班で歩行することとされた。児童は、先生と手をつなぎ、次いで友人と手をつなぎ、さらに一人で自立行動が可能になるというように順次教育されていくので、教師とではなく、友人と手をつないで歩行するということは、一般の小学校の遠足とは異なり、分教室の教育では、児童の自主性を助長する重要な意義を有し、右組分けは、一郎の能力、体力、従前の学習状況を十分検討した上で決定されたのである。

本件事故当日、リーダーである木下教諭が当日の校外学習について児童に説明し、注意事項を伝えたのち、九時三〇分頃分教室を出発し、休憩地であるどんぐり公園を経て本件事故現場である松原二丁目横断歩道を一行が渡り終るまで、一郎は教師の指示に従い、乙山と手をつないでおり、不断と変った様子はなかった。安部教諭は、一行が横断歩道を渡り終り、そこからの進行方向を確認し、隊列を整えたとき、丁度一郎と話をしていたが、出発の合図があったので、その声の方に顔を向け、一行の動きを確認し、「さあ行こう」と声をかけ一郎の方を見たところ、一郎の姿がなく甲州街道の方を見ると一郎が車道に飛び出し、走り去って行くのが見えたので、すぐに後を追おうとしたが、車の流れに遮られ、直後に本件事故が発生した。それは、安部教諭が出発合図確認のため一郎から目を離した数秒間の出来事であった。

3  予見可能性について

本件事故は、一郎が歩道上から突然車道に飛び出すことによって発生したものであるが、一郎は前述のとおり一六回の校外学習を経験し、車の危険性や歩行者の交通ルールを十分認識し、過去の校外学習において危険な行為をしたことが全くなかった事情を前提として前記の組分けがなされたのであり、安部教諭は、本件事故の直前まで一郎と乙山が手をつないでいることを確認し、一郎と話をしていたのであるから、集団の出発の合図の方に目を向けた数秒の間に、一郎が突然乙山の手を振り切って車道に飛び出す等ということは、安部教諭にとっても、他の教諭らにとっても全く予見しえない出来事であった。教諭らに過失はない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の事実は認める。

2  同2の事実中本件事故が一郎の車道への突然の飛び出しによって発生したことは認めるが、一郎の能力についての主張は争う。その余の事実は不知。

3  同3の主張は争う。一郎は、器質性脳障害児で現に入院治療中であり、仮に知能面で危険認識能力があったとしても、情緒障害のため突然の感情激発により予期せぬ行動に走ることは十分考えられ、養護学校の教育専門家である引率教諭らは、このことを予見し得たものであり、予見すべきであった。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故の直接の原因が一郎の突然の車道への飛び出しであることは当事者間に争いがなく、原告らは、一郎が髄膜炎後遺症による脳障害児で小児精神科専門病院に入院中であったことからすれば、このような突飛な行動に出ることも養護施設の教諭としては予見すべきであり、このような事故を防止するために、引率者は一郎と直接手をつないでいるか、そうでなくとも、万一そのような行動があったときにも直ちに抑止できるような態勢をとっているべきであったと主張するので、この点について考える。

《証拠省略》によると、本件事故発生に至るまでの状況について、次のような事実が認められる。

1  一郎は、九歳児であったが、知的レベルはあまり低くはなく、押しボタン式信号のある横断歩道をボタンを押し、信号が青になるのを待って横断することが、指示されなくとも一人でできた。分教室に入学当初は、近くの物を人に投げつける等の乱暴行為があったが、慣れるに従って少なくなり、本件事故当時は、そのような行動もほとんど見られなくなっていた。車道に飛び出すというような自分を危険にさらす行動は、本件事故までは全く見られなかった。

2  分教室の校外学習は、原則として週一回実施され、一郎が参加したのは、本件事故当日で一六回目であった。それまで一郎には、校外学習においても特に危険な行動は見られなかった。校外学習の際、児童は、先生と手をつないで歩くグループ、友達と手をつないで歩くグループ、一人で歩くグループに分けられ、事故当日一郎は友達と手をつないで歩くグループに分けられたが、これは初めての経験ではなかった。事故当日手をつないでいた乙山とも前に校外学習で手をつないで歩いたことがあったが、特に問題はなかった。

3  本件事故発生の直前、松原二丁目の横断歩道を一行が渡り終え、歩道上で別紙位置関係図のような位置に並んだとき、一郎は乙山と手をつないでおり、安部教諭がこれからの進行方向を示したのに対し、休憩地点のどんぐり公園で食べたドラエモンスナックについていた景品を「学校に帰ったら、ちょうだい。」というようなことを話していた。そのとき前方の大井教諭から「行きますよ。」と声が掛ったので、安部教諭は、そちらを向いて指示を確認し、振り向いて一郎に「さあ行こう。」と声をかけようとしたが、一郎の姿はそこになく、見ると既に歩道から飛び出して車道を走っていた。安部教諭は、追いかけようとしたが、激しい車の流れに遮られ、次に見えたとき一郎は路上に倒れていた。その間、瞬時の出来事であった。

以上の認定を左右すべき証拠はない。

右のような経緯から考えると、一郎が車道へ飛び出す前に、そのような一郎の行動の発生を事前に予測すべき徴候と考えられる現象は全く見られなかったというべきであるから、引率教諭らにそのような事態の発生を予見すべき義務があったということはできない。したがって、右のような予見義務の存在を前提として、引率教諭らに過失ありとする原告らの主張は採用できない。

三  よって、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白石悦穂 裁判官 窪田正彦 倉田慎也)

〈以下省略〉

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